いやはや、
疫病のお陰で、年末も年始もなく
年賀状も不義理し、
旧知の郵便局長さんのところで買ったのに、彼のところにさえも出せず。
疫病のお陰で、年末も年始もなく
年賀状も不義理し、
旧知の郵便局長さんのところで買ったのに、彼のところにさえも出せず。
となりの寺の除夜の鐘も聞けず、
三が日は
ラジオもテレビも遠ざけ、
できたのは
餅を5個ほど食べたこと。
元旦にお料理アプリを見ながら雑煮を作った記憶はあるのですが
食った記憶がない。
年末に頼んでいたお節料理を取りに行った記憶はあるのですが
これまた食った記憶がない。
疫病の症状は、元日の午後から悪化し、
「どこのどいつだ、フツーの風邪と変わらんとかぬかした奴は」
と布団の中で
三日間はブツブツ言い続けたのでした。
三日間はブツブツ言い続けたのでした。
悪夢のような時間を過ごす中で
文字通りの悪夢にうなされたり、妙に幸せな夢の中に入り込んだりしました。
その夢の内容があまりに荒唐無稽だったり、現実的だったり
なかなかおもしろいので少し書き留めたりもしたのです。
そのこともあって、
病床の中にあって、今年の抱負の一つが持てました。
「今年はブログ日記をちゃんとつけよう」
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症状が緩和に向かっても、
例の簡易抗原検査キットの陽性を示す線が消えたのは一月十日でした。
つまり二週間はまるまる自主隔離政策をとり続けたのです。
そして、自主隔離を自主的に解除してから暫くして
一月も後半になると、